ワイン城
池田の町名はアイヌ語で「セイオロサム」(貝のいるかたわら)と呼ばれ、「凋寒(しぼさむ、「ちょうかん」」と呼んでいました。しかし、明治37年に現在の根室本線にあたる鉄道が開通した際、池田仲博(徳川慶喜の五男)による「池田農場」の敷地内に駅が設置され、池田駅と命名され、村名も大正2年の川合村への改称を経て、大正15年「池田」となりました。
1879年(明治12年)に山梨県出身の武田菊平が入植、その後1896年(明治29年)に開墾が始まり、池田仲博(徳川慶喜の五男)による「池田農場」や高島嘉右衛門による「高島農場」が設置されました。
池田のワイン城
NHKのプロジェクトXでも紹介されたので、ご覧になった方もおられるでしょう。戦後、池田町は十勝沖地震や冷害による不作で、今の夕張市のような財政再建団体入り寸前までになりました。
昭和27年、当時の丸谷金保町長が冷害の年でも必ず実る山葡萄に目をつけ「これでワインが作れないか」と考えたのが十勝ワインの始まり。
12年の歳月で試行錯誤を重ね、昭和39年ブタペストで開かれた第4回国際ワインコンクールで銅賞に輝き評判となりました。
「ワイン城」というのは、ある町民が呼んだことをキッカケに広まった俗称で、正式には「池田町ブドウ・ブドウ酒研究所」という名前で、町役場にも同じ名前の部署があります。