ぴっぷ名は、アイヌ語のピプまたはピピから出たもので「沼の多いところ」あるいは「石の多いところ」の意。
昔は湿地帯が多かったことや、石狩川の川床には石が多かったためピプ、ピピが転訛し音訳して名付けられたと考えられています。
明治24年に区画測定がはじまり4年後に測量が完了しました。
明治27年に高知県人中城馬造が一家4人で移住しています。滋賀出身の谷定徳は渡道して比布原野を調査し、江州団体の団長として20戸を移住。香川県人合田鶴造も44名の団体で移住しました。
天塩線の開業、天塩道路の開通により比布原野は高まり、明治30年代から多くの施設が建ち活況を帯びます。上川方面に移住する人や士別・剣淵屯田兵村への物資輸送の中継地として栄えました。
いちご狩り公園
米作を主体とする純農村で、昭和30年代から本格栽培されたイチゴが名産となっています。もともと大正時代から、いちごの露地栽培がはじまっていましたが、水田の転作作物としてハウス栽培がスタート。
加工品の他、いちごルージュレや地酒も販売しています。
農園でつくられている種類は、「宝交(ほうこう)」と「けんたろう」。
「宝交」は昔からつくり続けられているぴっぷいちごの看板娘。
「けんたろう」は後味がさわやかな甘さが特徴です。
20戸のいちご農家の半数ほどで「いちご狩り」ができる観光農園を実施しています。農園によって作られている品種が違いますので、事前にパンフレットで調べておくと良いでしょう。
ピップエレキバン
比布町を一躍全国区にしたのはピップエレキバンのCMでした。
昭和55年、同じ名前が縁で比布駅が登場。
樹木希林さんの楽屋としても利用されたのが1898年に建てられた旧比布駅舎でした。
この駅舎は2015年に解体され新駅舎となっています。