千石場所
 

増毛の町名はアイヌ語マシケ(カモメの多い所の意)によるなどの説があります。

天保(てんぽう)年間(1830~44)に漁民が許可されて道南から入り漁業集落が形成され、「千石場所」とよばれるニシン漁の好漁場でした。ニシンの街として栄華を極めた増毛は、明治から大正、そして昭和初期の歴史を駅前通りに残しています。

今は昔の「ニシン物語」遙かな想いは、この建物たちから語り継がれていきます。この地を代表したニシン漁。最盛期の増毛は、商人の活躍もめざましく、網元や商人が築いた財は、惜しみもなく豪邸に注がれ、絵師や書家、文筆家らが立ち寄るほどの勢いとなり街が飛躍する原動力になりました。

数々の時代を通り過ぎてきた木造建築物や重厚な石造りの倉庫群は、歴史を語りかけてきます。

現在も増毛港を中心に、サケ、カレイ、エビ、イカ、タコ、ホタテガイなどの漁獲と水産加工が行われ、栽培漁業も推進されています。