常呂町(ところ)は、2006年に北見市の一部となり北見市常呂町となりました。
この地は、貞享年間(1684年~1688)に設置されたといわれる宗谷場所の一部でした。そのため、常呂のアイヌの人たちは交易のために宗谷まで出かけていました。
その後、紋別場所が設置され近くなりましたが、一人の請負人がいくつもの場所を請け負っていたため、労働力不足を補うため常呂方面のアイヌ人は宗谷や利尻へ動員され、コタンが衰退していきました。
明治24年、下常呂原野が農業に適しているとして植民区画がなされます。
翌年、大分団体の浜田由良之助が入植し2年後に移民募集を開始し、福島出身の斎藤鉄四郎が最初に入地しましたが振るわず土地を没収されました。斎藤は大分団体から抜け出して新たに4万5千坪の貸付を受けて斎藤農場を開きました。
明治28年、高知県高岡郡尾川村では明治25年以来の洪水で、山崩れがおき土佐団体を結成。田村喜造のもと下常呂原野に入植しました。
サロマ湖のカキは幕末から生息が確認されていました。
カキ漁が本格化するのは大正期に入ってからで、昭和になりカキ・ホタテの養殖もはじまり常呂漁港も修築、戦後は稚貝の放流も行われています。
昭和11年10月10日、 鉄道省湧網東線が延伸開業し常呂駅新設。
常呂町内を通っていた湧網線は昭和62年に廃止されました。
町内には北見富丘駅、東富丘仮乗降場、北見共立駅、常呂駅が設置されていましたが常呂駅の跡地はバスターミナルになっています。
100キロウルトラマラソン
カーリングは常呂町の町技といわれるほど盛んなスポーツで、日本初の屋内専用ホールが造られました。
このホールを出発し、サロマ湖を回る100キロマラソンは13時間にも及ぶレースです。