砂金まつり
町名の由来は、アイヌ語の「トー・ウン・ペッ(湖から出る川)」からであり、頓別川の中流に位置するため「中」が冠してある。
明治30年頃、中頓別の頓別川から砂金が見つかりました。ゴールドラッシュとなり、役所は人が住み「農業ができるように」と土地を準備。中頓別の周りは「頓別原野」と呼ばれました。中頓別の開拓がこうして始まりました。1909年(明治42年) 道徳安二が枝幸郡第10部(現在の中頓別町を区域とする)の部長となり、この日を開拓の日となりました。
大正10年- 頓別村(現浜頓別町)から分村、中頓別村。
町は秀峰ピンネシリ岳(704メートル)を中心とした山岳地で、南西部は標高500メートル前後の北見山脈、東部はポロヌプリ山(838メートル)をはじめとする高山をもつ山岳地。起伏状急峻で、これから発した頓別川、兵知安川の2川が中央部を北流し、多くの支流を合わせつつオホーツク海に。この流域が平坦地及び段丘地を形成し農業地帯となっています。
「砂金まつり」はゴールドラッシュの歴史を残すペーチャン川を会場に開催されます。砂金掘りが行われ、砂の中からきらめく砂金を見つけるたびに歓声が上がります。