羽幌線ー天塩線・遠羽線
留萌本線の留萌から日本海を北上して宗谷本線の幌延に至る、141.1キロの地方線です。
日本海沿岸に住む住民の念願は明治43年に本格的になり、明治45年には請願書を提出。何度も請願書を提出し、大正9年に軽便線方式で決定。
昭和2年10月に留萌ー大椴間19.7キロが開通したのを始まりとして、昭和7年9月に留萌ー羽幌間60.7キロが開通しました。
遠別から南下する工事は昭和8年から遠別線として進められ、昭和10年6月には幌延ー天塩間18.9キロが開通、翌11年10月には天塩ー遠別間が開通し天塩線と名付けられました。
未開通区間は、羽幌線の築別と天塩線の遠別間38.3キロで、遠羽線の名で昭和28年8月から工事となりました。築別ー初山別間は昭和32年11月に開通、初山別ー遠別間は昭和33年10月に開通し、留萌ー幌延間141.1キロが全通し、線名も羽幌線と改称されました。
国鉄分割民営化(JR化)を2日後に控えた1987年(昭和62年)3月30日、全線が廃止されました。