「忠類」と言えば十勝管内の忠類村(現在は幕別町)と思いきや、鉄路となれば現在の標津郡標津町の川北地区から北標津地区を経て古多糠地区へと通じていた路線です。

現在の標津町内になりますが、植民軌道根室線の川北から、北部の古多糠へ至る植民軌道でした。古多糠は明治30年代から入植者によって牧場が始められ、乳牛も導入されていましたが繁殖が目的で牛乳販売ではありませんでした。
各地に集乳所が設けられたのは昭和5~6年の冷害凶作以降のことで、本格的になるのは昭和9年からです。
そうして、この生乳輸送を目的とした植民軌道忠類線川北北4線ー古多糠間10.8キロが昭和10年9月に完成し、馬力で使用を開始しました。

昭和28年以降、根釧台地は冷害が続いて農業経営の転換が迫られました。
昭和31年には標津町は集約酪農地域の指定を受け、トラクターでの草地改良が進められます。酪農主体の転換で、同時に道路の改良と自動車輸送の普及となり、それは植民軌道の終焉でもありました。昭和32年3月に廃止となります。

写真は開拓を支えた植民軌道忠類線