小林多喜二文学碑ー小樽市

地獄坂と言われる多喜二も通った学校(現在の小樽商科大学)の入口近くを右折し、山道を登ると旭展望台があります。
昭和40年10月9日、弟の三吾、小樽高等商業学校の後輩伊藤整や碑の製作者本郷新らを迎えて除幕式が行われました。

多喜二は秋田県で生まれましたが、明治40年、4歳の時に一家とともに小樽に移住してきました。昭和8年に東京で特高警察によって虐殺され30年の生涯のうち23年を小樽で暮らしました。

文学碑に刻まれた碑文は、昭和5年劇作家村山知義の夫人でもある児童文学者村山籌子に宛てた書簡の一節です。

「冬が近くなると、ぼくはそのなつかしい国のことを考へて深い感動に捉へられている。そこには運河と倉庫と税関と桟橋がある。そこでは人は重っ苦しい空の下を、どれも背をまげて歩いている。赤い断層を処々に見せている階段のやうに山にせり上がっている街を、ぼくはどんなに愛しているか分からない」

JR小樽築港駅の南口広場には「小林多喜二住居跡」の碑が建っています。