道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。
半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。CDを視聴しましたが、ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。
尚、このCDは現在「北海道立図書館北方資料室」にあります。
私が借りた時は「北海道立文書館」でしたが変わりました。

和寒町の1965年の映像  18分 白黒 音声あり     

この映像は1965年(昭和40年)、和寒町が開基65周年・開村50年になる年にテレビで道内に放映されたものでした。

開基65年とは、和寒町は1900年(明治33年)に秋田県人菊池伊七が和人最初の定住者した年です。

前年の1899年に鉄道(現在の宗谷線)が和寒まで開通していました。

開村50年とは1915年(大正4年)のことで、剣淵村(現在の剣淵町)から分立し村が誕生した年をいいます。
因みに、和寒町になったのは1952年(昭和27年)です。

映像は開基・開村を祝って和寒町民は一大イベントを行っていました。
街中を子どもたちの鼓笛隊を先頭に歩き回ります。鼓笛隊の風景は、今は見ることがありませんが私の年代には懐かしてものです。

平成の時代は、合併が相次ぎました。北海道には212の市町村がありましたが33の町村が消えました。しかし、村や町が独立する喜びは、開拓で入植した人たちの悲願でもあったと思います。
大正4年、剣淵から独立した「和寒村」も大変なお祝いでした。それが映像から見ることができます。
今は町中の人たちが心を一つにして、祝うことなどありませんが、この映像を見ると「ふるさと」に対する思いを考えさせられます。

農業や副業

和寒町の成長の歴史が映されています。
農業が主体ですが、副業として家畜産業は今も参考になるでしょう。また、植林としてのカラ松の苗づくりなども興味深いものがあります。
和寒町が林業の町として「割ばし」や木工工場の誘致なども積極的だったことがわかります。

塩狩温泉

三浦綾子記念館

現在の塩狩峠は三浦綾子の住まいであった旭川の建物を移築して、小説「塩狩峠」の記念館になっていますが、56年前は観光地で塩狩温泉がありました。
かつて、私が国道40号線を旭川に向けて通っていたころを思い出すと、温泉があったような記憶があります。
それが上の写真ですが、今はありません。

映像を見ると、観光施設としての「塩狩温泉」が大繁盛です。
娯楽や旅行が少なかった時代に、この温泉旅館は貴重な行楽の場所だったのでしょう。これには驚きました。