道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

厚岸・浜中村 1965年(昭和40年) 14分 白黒  音声あり  

<厚岸大橋>
牡蠣三昧で人気の「道の駅厚岸グルメパーク」は高台の国道44号にあります。
この道の駅から、対岸に大きな突き出た島のような陸が見え、この島を結ぶ赤い「厚岸大橋」で繋がっています。

この対岸を湖南地区といい、道の駅のある手前を湖北地区と呼んでいます。
この二つの地区を結ぶ長さ456.5mの厚岸大橋は、北海道で最初の海上橋として昭和47年9月に開通しました。
この橋ができるまではフェリーボートで、それ以前は、渡船で人や自動車などを輸送していたといいます。対岸の島は、陸続きなのですが厚岸湖を一周することになるので島でしかありませんでした。
この橋を架けることが厚岸の人々の「夢」でもありました。
この映像では、昭和40年当時のフェリーボートが映し出されており、「夢の橋」の願いが良くわかりました。今となっては貴重な映像です。

<国泰寺>
湖南といわれる地区には松前藩の「アッケシ場所」があり、アイヌの人たちとの交易の場所として栄えていました。
ところが、18世紀末になると江戸から多くの役人が駆けつけました。
また、蝦夷三官寺の一つ「国泰寺」を設置し徳川11代将軍斉昭直属の寺がありました。それが、今も保存されており、この寺の貴重な映像を見ることができます。これは感動モノです。

「クルマ社会」となりましたが国道44号で根室に向かう前に、この厚岸大橋を渡ってみてみることです。根室にはこちらから浜中町を通って向かうことができます。歴史を知るだけでなく、厚岸観光十景は道道123号にあります。

<浜中村>
浜中町は、蝦夷の寛永年間に厚岸場所が置かれ、1701年に厚岸場所を分けて「キイタップ場所」が設置された地域でした。
<霧多布岬>
明治に入り、諸藩分領により佐賀藩が支配する事になりましたが漁場持ちの榊富右衛門が漁民を募集し、アシリコタンに定住させたのが今日の榊町の発祥となりました。海産干し場が開け、ニシン・コンブ漁が盛んであったといいます。
映像では戦後ではありますが、これらの風景が見られました。

<天然記念物の町>

琵琶瀬木道

霧多布湿原は面積3200㌶の四分一である803㌶が天然記念物に指定されています。
特に人気なのが「ワタスゲ」です。これを見るために、毎年多くの観光客が霧多布を訪れていますが、昭和40年も同じように咲き乱れるワタスゲを見に観光客が来ていることにびっくりです。
浜中町の人たちの自然を残そうという努力が良く映像から読み取れました。