(年表)明治18年<釧路集治監(標茶集治監)>

写真は標茶町にある旧釧路集治監で現在は郷土資料館になっています。

内閣大書記官金子賢太郎の「北海道三県巡視復命書」(「囚人の死は一石二鳥」)により囚人による道路開削が始まる(北見峠―網走間など)。

1885年(明治18年)

3月9日 初めて電話機・電燈が輸入される(エジソンが電話機と白熱電燈26個を工部大学に寄贈)  
7月1日 特許法実施(第1号特許は堀田瑞松届けの錆止め塗料)
7月 札幌郡野幌別兵村 第一大隊第四中隊。138戸。
9月17日 日本郵船創立  
10月16日 上野駅開業  
11月14日 最初の坑業組合となる九州の筑豊石炭坑業組合成立
12月22日 最初の組閣、第一次伊藤内閣成立し初代総理大臣に伊藤博文(宮相兼務)(明治18年12月22日~明治21年4月30日)  


 

 

 ※

現在の札幌市厚別区青葉町ともみじ台を含めた下野幌地区に、
石松弥七と小ケ口石太郎が上野幌地区には小ケ口石松、石井市郎兵衛、
大崎三平、太田鉄五郎らがそれぞれ入植。
また、大谷地にも阿住勘五郎、駒林鉄五郎が入り、開拓のクワが入れ
られた。

現在の標茶町に釧路集治監が開庁

 

 

 

 

 

 

 

 

     

 

<釧路集治監(標茶集治監)> 

硫黄山
     
明治18年、現在の標茶町に釧路集治監が開庁。 明治23年には1,409人を収容していた。
釧路集治監に収監された囚人は、川湯硫黄山での採掘、標茶釧路間の軽便鉄道敷設、厚岸屯田兵屋建設、釧路川浚渫などに使役された。
特に硫黄山の採掘は、あまりに消耗が激しいため、明治20年11月に囚人の硫黄採掘作業は中止された。明治27年以降は付設農場での大豆栽培などに力点が置かれた。
明治24年に北海道集治監釧路分監に改称、明治34年に廃止。明治18年に建てられた釧路集治監の本館は、現在標茶町郷土館として公開されている。