明治15年<篠路興産社・滝本五郎>
写真は篠路の官営工場
板野郡長江村(現・鳴門市大津町)出身の滝本五郎は、北海道に移住して大農法による農場開拓を目指し、明治14年、実弟阿部興人と組んで徳島興産社を設立しました。
明治15年5月、47歳で篠路に入地。
同18年には札幌郡篠路村の興産社農場に製造所を設けて蒅(すくも)の製造に乗り出します。興産社は利子補給の特典を受ける保護会社となり、北海道庁の支援を受けながら、製藍事業を進めました。
※蒅(すくも)とは、植物染料の一つで藍(あい)の葉を発酵させて製したもの。
同28年には製藍高4万3000貫に達し、北海道藍は本場の阿波藍を圧迫するほどに成長します。しかし全国の伝統的な製藍業が化学染料の合成藍に押されて衰退していく中で、明治30年には中止を余儀なくされてしましました。
現在、民芸ブームの中で伝統的な藍染めが見直され、壊滅状態にあった藍が復活していますが北海道では徳島県出身の篠原家が伊達市で今も藍づくりを続けています。
また、現在の札幌市北区篠路町の「あいの里」は、興産社の藍を地名のゆかりとしています。