番外編8<北海道開拓の構図>
明治維新後の北海道開拓は、明治の終わりまでを大きく分けると6つのグループで進められました。
「旧幕臣士族」「屯田兵開拓」「開拓団体」「囚人使役」「移住民開拓」「華族組合」のグループです。
はじまりは次のような展開でした。
北海道開拓(明治元年~明治5年)
1官募移民
開拓のため,開拓使が本州等で募集した移民(移民扶助規則,喚農規則に基づ
き保護)
明治2年(1869)9月,根室,宗谷,樺太への農工民約500人
・ 根室の開拓は元禄年間に始まり、明治2年に開拓使松本判官が属僚130人
を連れ来往し、根室市の基礎を築きました。
・ 同12月,酒田県から農民男女300人
・ 明治3年(1870)春,酒田,柏崎両県から第二陣118戸,394人が
札幌付近に入地。
・ 明治4年(1871)5月,長崎,熊本両県から日高国西舎村,杵臼村(現
浦河町)への45戸,167人の入地。
・ 明治5年(1872),鹿児島,長崎県下の漁夫百余人の招募
2 士族団体移住
主として維新後,旧幕府側の敗戦士族が一族の存続・再生と士族としての対
面(北門の鎖鑰)を保つため,明治2~5年,開拓の当初政府が採用した諸
藩・華士族・寺院などへの分領支配に出願したもの。
仙台藩:沙流郡へ210余人
石川邦光(角田藩):室蘭郡へ73人
伊達邦成(亘理藩):有珠郡へ1083人
片倉邦憲(白石藩):幌別郡へ151人
伊達邦直(仙台藩岩出山):厚田郡へ161人
斗南藩:瀬棚,歌棄,山越郡へ209人
佐賀藩:厚岸・釧路郡へ151人
稲田邦植(徳島藩):静内郡へ548人
このうち最初の5団体はいずれも仙台藩・支藩(伊達一門)で開拓史からの一切の保護もなく苦労したが,中でも伊達邦成は合計9回,2600余人の家臣団を移して最も成功した移住団体と言われています。
佐賀藩は支配地の漁業と農業開拓のため藩内の農工民を移したもの,明治5年,不漁・不作等のため大半が札幌方面へ移住。
稲田家は維新時に官軍に味方したため本藩と抗争状態になったもので,移住に際しては多額の移住費を支給されるなど優遇されました。