<開陽丸の沈没状況>

写真は江差町が開陽丸復元ました。沈没した海底から取りだした遺品を展示しています。

1868年(慶応4年・明治元年)

10月20日、蝦夷地鷺ノ木沖に到着した開陽丸は、しばらく鷲ノ木沖に停泊。
10月25日、旧幕府軍が箱館および五稜郭を占領すると、箱館港に入港して祝砲を撃った。旧幕府軍は松前城を奪取した後、江差へ進軍を開始。その援護のために開陽丸も11月11日に箱館を出港して江差沖へ向かう。

11月14日、江差沖に到着。陸地に艦砲射撃を加えるも反撃がないので、斥候を出すと、松前兵はすでに撤退していた。
榎本は最低限の乗組員を開陽丸に残して上陸し、江差を無血占領した。

翌15日夜、天候が急変する。
開陽丸は、タバ風と呼ばれる土地特有の風浪に押されて座礁。
江差沖の海底は岩盤が固く、錨が引っ掛かりくいことも災いした。
回天丸・神速丸が救助に向かったがうまく行かず、開陽丸は岩礁に挟まれていよいよ身動きが取れなくなる。
乗組員は全員脱出して江差に上陸。
数日後、榎本や土方が見守る中、開陽丸は沈没した。