志海苔館は志海苔川の河口にありました。 この川の上流で蹉跌が取れたため、多くの鍛冶屋が海峡を渡って志海苔館付近で商売をはじめました。函館から約20キロのこの一帯には、100軒を超える部落となり大変な賑・・・ (続きを読む)
蝦夷の時代6 松前藩の始祖も津軽を渡る
1454年、下北半島田名部の安東政李が渡島半島に渡ります。 この安東氏と行動を共にしていた蠣崎氏も渡るのですが、蠣崎氏のところに転がり込んでいた武田信広も共に渡ります。 この武田が松前藩の始祖といわれ・・・ (続きを読む)
室町時代後期の武将。1431年、若狭国の守護大名・武田信賢の子として若狭小浜にて誕生。1454年、生駒政季を奉じて蝦夷地に渡り、上国花沢館の蠣崎季繁に身を寄せ、その後、季繁に気に入られ婿養子となり蠣崎姓に改名。1457年コシャマインの戦いが始まり道南十二館のうち10館が陥落、武士達が追い詰められていたが信広がまとめ七重浜にてコシャマイン父子を射殺。この功績で信広の蝦夷地における地位は決定的となる。明応3年(1494年)6月23日、死去。享年64。
志海苔館は志海苔川の河口にありました。 この川の上流で蹉跌が取れたため、多くの鍛冶屋が海峡を渡って志海苔館付近で商売をはじめました。函館から約20キロのこの一帯には、100軒を超える部落となり大変な賑・・・ (続きを読む)
1454年、下北半島田名部の安東政李が渡島半島に渡ります。 この安東氏と行動を共にしていた蠣崎氏も渡るのですが、蠣崎氏のところに転がり込んでいた武田信広も共に渡ります。 この武田が松前藩の始祖といわれ・・・ (続きを読む)