シャクシャイン像

1606年(慶長11年)? – 1669年(寛文9年)10月23日

17世紀中ごろの東蝦夷シブチャリ地域(北海道静内)のアイヌ一部族の首長

1669年和人中心の交易政策をすすめる松前藩に抗して蜂起。2ヵ月におよぶ全アイヌ民族的な戦い(シャクシャインの戦い)に発展。
同年11月16日(寛文9年10月23日)和議成立の祝宴で謀殺されました。

 

 

まずは、左の2枚の写真を見てください。北海道新ひだか町静内の真歌公園で、右の立像はすでに壊されて無残な台座だけが残っています。

左が胸の前に視線を落とした像です。同一人物の像ですが、見る者の受ける印象は正反対と言っていいでしょう。右は地元のアイヌ有志団体「シャクシャイン顕彰会」によって1970年に建立されました。その老朽化が激しいとして、NPO法人新ひだかアイヌ協会が制作した新像が左の像です。旧像は「胆振東部地震で倒壊の危険性が高まった」との理由で町役場によってすでに撤去されました。

シャクシャイン像の差し替えは、最近の日本政府と先住民族アイヌとの関係を浮き彫りにしているようです。アイヌ政策を担当する内閣府官僚らを招待して開かれた新像除幕のセレモニーでは、北海道アイヌ協会理事長は「こんにち、以前には考えられないほどアイヌ政策を進めていただいている」と挨拶。
また、新ひだかアイヌ協会の大川勝会長は「(像は)戦いを呼びかけるのではなく平和と共生を祈る姿に変わった。これからはこの像がアイヌ民族の象徴になる」と語りました。
政府は2020年開業の国立アイヌ民族博物館の開業となりました。ところが、土地や自然資源に関わる権利など、「先住民族の権利に関する国連宣言」(07年採択)が列挙する主要な権利の回復はそのままです。国連の監視機関から日本政府に新たな改善勧告が届いたといいます。
1669年、シャクシャインの戦いで、だまし討ちでシャクシャインは刺殺されました。今日の一連のアイヌ民族に対する政府の対応は、蝦夷の時代に松前藩が犯してきた歴史をよみがえらせてくれます。

「シャクシャインの戦い」については、ブログ「蝦夷の時代」に連載で書いていますので、そちらを読んでください。