旭川を流れる川は大小合わせると160本以上あります。
これは車で走ってみると分かります。川が多いということは橋も多く760カ所を超えます。

第七師団長・永山武四郎

橋の中で歴史の風格を漂わせているが「旭橋(あさひばし)」です。
旭川中心部と北部(国道40号)を繋ぐ交通の要衝であり、美しい姿から旭川のシンボルとして親しまれています。
札幌の豊平橋、釧路の幣舞橋と共に北海道三大名橋といわれましたが、今は旭橋だけが架橋の姿を残しています。
初代旭橋は1904年(明治37年)に架けられた鋼橋で、大正末になると木製部分の老朽化が進み交通量増加に対応できなくなりました。
1927年(昭和2年)、橋梁形式にブレースト・リブ・バランスト・タイドアーチ橋を採用することとなりました。この形式の橋は岩手県一関市の北上大橋、荒川区/墨田区の白髪橋、岐阜市の忠節橋、そして旭橋の4例しかありません。
1932年(昭和7年)に現在の旭橋が完成。
当時の最新の技術と叡智を集めて造られた橋で、強度を保ちながら軽量化する工夫や、寒暖の差による伸縮に対応する仕組みが駆使されています。鉄と鉄をつなぐ「リベット」が48万本以上打ち込まれています。それが現在まで1本も折れていないといいますから驚きです。

最新技術で設計された目的は、旧陸軍第七師団司令部の存在でした。
戦時に橋脚が攻撃されても崩落に耐え、また戦車などの重量物の通行を可能とするためです。
司令部は旭橋を渡り、更に北部にありました。現在も自衛隊基地があります。
当時の旭橋正面には軍人勅諭網領を書いた旭日亜章が掲げられ、それに対し通行する者は立ち止まり辞儀や敬礼をし、市電車内では車掌が通過時に号令をしたといいます。戦地に赴く軍人は第7師団から旭橋を渡橋して出征していきました。