くっちゃん町名の由来はアイヌ語のクッシャニからといいます。
クッシャニとは尻別川支流、倶登山(くとさん)川の旧名「クッ・シャン・イ」で「くだの(ようなところ)を・流れ出る・ところ」の意味です。

明治23年、官林200万町歩、御料局に引き渡され御料林となりました。
仁木町を開拓した仁木竹吉は倶知安原野の開拓のため、共同出願組合で貸し付け願書を出します。

明治30年入植者

明治25年、第一次移住者、真鍋浜三郎ほか5人が倶知安原野に入植したのを皮切りに、その後2次隊も入り、これがこの町の開祖と言われています。
明治26年、倶知安村を設置し虻田戸長役場の管轄(はじめて倶知安という漢字が使われました)

明治37年、函館本線の開通、その後、後志支庁の開庁と政治・経済・文化とも急速に発展します。

倶知安町の位置関係は、蝦夷富士として知られる羊蹄山を南に配し、西にはニセコ連峰の山並み、北は倶知安峠・稲穂峠を越えて余市に向かいます。
又は、国道393号で赤井川村から小樽市に向かうこともできます。

羊蹄山(蝦夷富士)

道央ではジャガイモの産地としても有名で、特に国道5号から道道478号に入り喜茂別町迄は畑と羊蹄山の撮影に適しています。
羊蹄山を取り囲んで、喜茂別町・真狩村・京極町・ニセコ町・倶知安町と各町にビューポイントがいくつか設定されています。

 

 

 

レルヒ中佐の碑

明治45年、レルヒ中佐が倶知安町に来て、スキー技術を披露した歴史を持ちます。
昭和36年、ニセコアンヌプリの斜面にスキーリフトを設置し、ニセコひらふスキー場を開設。
その後も開設し現在3つのスキー場を持つリゾート地となりました。