福井県人(鶉村)がはじまり
上砂川の名は「砂川」の上流にあることから。
砂川は、アイヌ語で「オタウシナイ」で「オタ」は砂、「ウシ」は多い、「ナ」は川という意味。

旧三井砂川炭鉱中央立杭

上砂川はかつて産炭地として他の空知炭田群とともに栄えました。
明治20年に上砂川炭田が発見され、その後、明治32年に福井県鶉村から来た開拓者・山内甚之助氏他8名によってこの地に鍬が入れられたのが発祥です。

大正3年、三井鉱山(株)が起業し炭鉱の町として発展します。
昭和24年には当時の砂川町、歌志内町の一部を分割して「上砂川町」が誕生。
その後、出炭量も増加し、昭和27年には人口が32,103人を数えました。

しかし、エネルギー革命の転換により昭和62年7月に閉山。
73年の炭鉱の歴史に幕を閉じることになりました。
「上砂川駅」は映画やテレビドラマのロケ地となり、有名な作品の舞台として撮影場所に選ばれています。駅舎は、平成6年に上砂川線が廃止になった後に、現在の場所に移設されました。

上砂川町が舞台となった倉本聰の「悲別」は上砂川町で撮影され、その駅(悲別駅)として上砂川駅が使われたことから、時刻表や改札などをそのまま残しロケ当時の写真などを展示しています。