忠類村(ちゅうるいむら)は、十勝支庁南部にあった村で、2006年2月6日に北部と隣接する幕別町に編入合併しました。
昭和24年に大樹村大字当縁村の一部を分村してできた村でした。
かつては当縁川河口にアイヌ人の集落があったといいます。
明治27年群馬県新田郡出身の岡田新三郎が、丸山山麓に入植し戸長にも任命されました。ところが明治33年に足尾銅山鉱毒事件の農民指導者のひとりが妻の父であったため官を辞めて帰京しました。
昭和3年、補助移民の入地。昭和5年に忠類村の開業で人口が増加し市街地が形成されました。
昭和14年頃から母村である大樹村は歴舟川の増水で莫大な費用がかかりましたが、忠類村は大きな川がないことから分村運動が起こりました。
昭和44年農免道路を開削中に晩成地区で偶然発見された臼歯が発端となり、発掘調査が行われました。
翌年にはほぼ1頭分のナウマンゾウの化石という世界的な快挙となります。13~11万年前に中国から渡ってきたものであることがわかりました。
忠類ナウマン象記念館
ナウマン象の化石は、忠類晩成地区の農道工事現場の側溝掘り作業の際、アルバイトの少年がツルハシを地面に打ち下ろした先に、湯たんぽのような模様がある楕円形の塊が出てきました。
少年はそれが理科の教科書に載っているゾウの歯によく似ていることに気づきます。
専門家による調査の結果、なんとナウマン象の臼歯だということが分かりました。
記念館は昭和63年に開館し、ナウマン象が村おこしに一役かっています。
館内の主展示室は、「プロローグ」「発見」「調査」「発掘」「研究」「復元」の6つのテーマに沿って分けられ、効率よく展示されており、予備知識がなくてもわかるようになっています。
丸山展望台(トップ写真)
海賊が金を丸山に隠したという「丸山埋蔵金伝説」があります。
この丸山には「コメンド岩」と呼ばれ、地中海シシリー南方のピエトロ島と、日本では島根県隠岐の島と虫類の丸山でしか発見されていない、世界的にも貴重な岩石があります。