留萌市から国道232号を北上していくと「道の駅おびら鰊番屋」があります。
小平と書いて「おびら」と呼びます。日本海のニシンは江差町を北上し、積丹半島も通り越し、とうとう留萌の北にある鬼鹿(おにしか)海岸まで来ていました。札幌と稚内のほぼ中間に位置し、日本海オロロンラインの休憩ポイントとして絶好の環境にあります。道の駅に隣接して、幻の魚「鰊」がのこした日本最北端の重要文化財「旧花田番屋」があります。
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明治38年に建てられた道内最大規模の鰊番屋で、全盛期には200人のヤン衆がひしめき合いニシンの群来を待ち構えていました。広い板敷きの居間には囲炉裏が3つも切られ、やん衆はここで食事をし、居間をL字型に囲む階段状の寝床で休みました。
やん衆は道南や青森、秋田、岩手の東北3県から親方に率いられてやって来て、群来がくれば銀行員の月給の倍近く稼いだといいます。
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国道232号を挟んだ海沿いに、夕日の絶景ポイントとして整備された公園があります。
公園内には小平を訪れた探検家、松浦武四郎の銅像や夕日をイメージしたモニュメントが設置されています。
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この公園の一角に三船殉難慰霊之碑があります。この海で悲惨な事件があったことを知る人は少なくなりました。◆昭和20年8月22日、留萌沖の海上で樺太からの婦女子を主体とする引揚者を乗せた日本船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦による攻撃を受けました。
小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となりました。