平成18年3月5日、北見市、端野町、常呂町、留辺蘂町は、新たに「北見市」として合併しました。
道央圏の石北峠からオホーツク海沿岸まで東西約110kmがひとつの町で繋がったのです。
この面積は北海道ではもちろん一番で、日本では高山市、浜松市、日光市に続く4番目の広さになります。
市名の由来は、松浦武四郎が命名した国名「北見国」から。
明治15年開拓使が廃止され、札幌・函館・根室の三県が置かれ、北見国は根室県の圏域に入りました。
明治16年、常呂村に常呂外六ケ村戸長役場が置かれたのが、当市行政の始まりです。
明治19年、三県を廃止し北海道庁を設置し、本格的な道路網の整備に着手。
囚徒を使役して、網走~上川間の「北見道路」を明治24年完成、各所に駅逓が置かれ内陸部の開拓は飛躍的に進みました。
常呂村は明治28年、高知県の土佐団体が入地したのが草分けで、明治31年には岐阜団体が入地しました。
明治30年と翌年に上・中・下野付牛村に計397戸の屯田兵が入地。
屯田歩兵第4大隊第1中隊が入地した端野村は、大正10年に野付牛町から独立。
明治35年にハッカが導入され、大正末にはハッカ景気にわきます。
昭和10年代には当時の世界総生産の70%を占めましたが、人工ハッカの台頭で減少昭和58年にハッカの歴史に幕を閉じました。
現在はハッカに代わりビートとタマネギの作付けが多く、特にタマネギは日本有数の産地で農産加工も行っています。
年間の気温の差が大きいのですが、夏は快適で各企業や大学の合宿も受け入れています。街自体がスポーツならラグビーという土地柄もあり、スポーツ振興にも力を入れています。