いまがね町名の由来は、明治26年に入植した今村藤次郎と金森石郎の頭文字をとって付けたものです。その後、明治30年瀬棚町から分離、利別村となり、昭和22年に改名して今金町となりました。
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江戸時代にカニカン岳の砂金採取が、この地の開拓のはじまりでした。この砂金は日光東照宮の造営にも用いられました。
明治24年、犬養毅が政治資金を得るために利別原野で大農式開墾を行いましたが失敗しました。
イマヌエル協会
明治24年、現在の神丘地区に京都府のキリスト教徒が入植。
牧師であるリーダーの同志社大学の志方之善が理想郷建設を計画。
その後、妻である荻野吟子も渡道し、後に瀬棚に産科・小児科を開業しました。
神丘地区には現在日本聖公会のイマヌエル協会が建っています。
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昔から地下資源が豊富で、かつてはマンガン鉱で美利河地区が栄えましたが、今は閉山しています。
マンガン採掘の勢いは衰えましたが、美利河ダム湖を中心に、宿泊施設も建ちリゾート地域に変わっています。
また、美利河ダム建設中に美利河遺跡を発掘。大型海牛の化石が発見されています。
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基幹産業は農業で、有数の男爵イモの産地です。男爵イモ焼酎も開発され販売しています。