細岡展望台

1870年(明治3年)ー佐賀藩の佐野孫右衛門が170戸(637人)の漁民を釧路村(現在の釧路市)、昆布森村、跡永賀村、仙鳳趾村に移住。
明治20年ー天寧に神八三郎入地し開墾始める。明治23年ー山県勇三郎が自身の牧場に、私立山県教育所開設(釧路町立別保小学校の前身)。明治25年ー群馬県の20戸が遠矢移住。明治29年ー山縣炭鉱(後の別保炭鉱→三井鉱山釧路炭礦別保一杭→太平洋炭礦別保一杭)開坑(1949年閉鎖)。

釧路市の東隣にある町であり、1920年(大正9年)に釧路町(現在の釧路市)の区制施行に伴って釧路村が分離独立し、昭和30年に昆布森村との合併後、昭和55年に釧路町になりました。
まちの北西部は「釧路湿原国立公園」、南東部は「厚岸道立自然公園」に指定され、釧路町の市街化地域は、区域の50分の1程しかなく、ほとんど森林で町の面積の4分の3が森林地域となっています。世界的に貴重な釧路湿原と青く広がる太平洋を持つ豊かな自然に恵まれた町です。
 

釧路川

釧路川は屈斜路湖に源を発し、日本最大の湿原である釧路湿原の中に入ります。釧路郡釧路町
の岩保木地点からは、人工河川である「新釧路川」となり、釧路市釧路港の東港区と西港区の間から太平洋に注いでいます。高低差が少ないため一級河川には珍しく釧路川本流にはダムが設置されていません。夏季には全国からカヌーの愛好者が川下りのために訪れます。カヌーポイントはいくつかありますが、細岡付近の湿原地帯、塘路付近、屈斜路湖側の源流部分などです。