滝本金蔵 1

滝本金蔵は温泉の町「登別」第一滝本館の創始者です。

金蔵は1826年、武蔵国児玉郡本庄(現在の埼玉県本庄市)の野村家生まれで生家は農業でした。実家の家督は、長男が継ぎます。
手に職をつけようと、10代の半ばで江戸に出た金蔵は大卯の棟梁に弟子入りし、江戸でも腕利きの職人となっていきました。

料理店の娘だった佐多と世帯を持ち婿養子として滝本家に入りました。そのとき、蝦夷地(箱館奉行所役人の新井小一郎)で職人の募集という話にであいます。当時の蝦夷地は新興地で行くまでの旅費は無料。
さらに、開拓した土地は自分のものになるというふれこみでした。
32歳の金蔵はそれにかけることにします。

滝本金蔵は1858年(安政5年)2月、募集に応じて山越内場所(現八雲町山越)長万部に後手作場として入植します。
妻の佐多とともになれない鍬をもち開墾し始めた頃、佐多の身体に偏重がおきます。原因不明の皮膚病が佐多を襲い全身に広がっていきました。

開墾など到底できなく、ついには、子どもの世話もできなくなるほどでした。
当時、入植者が他の土地へ移住することは、禁じられていました。

しかし、あまりの不憫さに長万部の雇い主は、場所請負人に金蔵親子の移住許可を提出。その場所は幌別、病にきく温泉があるといわれているところでした。

移住許可の申請が聞き届けられ、金蔵たちは長万部から幌別に移ることができました。(つづく)