小説石狩川 本庄睦男

本庄陸男(ほんじょう むつお)
1905年2月20日-1939年7月23日
北海道石狩郡当別町出身の小説家。
小学校の教師として、東京の名門誠之小学校に勤務していたが、新興教育運動に参加し、下町の学校に自ら望んで転任しました。
その後、学校をやめて創作に集中しようとして、日本プロレタリア作家同盟に加入し、東京支部の組織化に力をつくします。
彼の作品は、出身の北海道や幼少期を過ごした樺太での生活に取材したもの、東京での教員生活に取材したもの、という大きく分けて二つの系列があります
写真は「本庄生誕の地の碑」
チョコレート・ロイズ工場入口にあります。

小説石狩川の一説
「いの一番にこの川を見つけたのは肥え太った鮭の群れでもあったろうか」 


小説『石狩川』は、開拓責任者の吾妻(小説では阿賀妻)ら数人の先遣隊が原野を掻き分けて、開拓の許可を受けた当別川畔を探し出すところから始まります。荒々しく襲い掛かる自然が巧みに描かれていて、草木による痛みや雨に濡れる冷たさを実感します。
やがてそこに肥沃の大地を見出し、金策に苦労しながらも21キロの一本の道を総力で作りあげます。

小説「石狩川」は、仙台藩一門岩出山伊達邦直公主従によって開拓のクワが入れられ、石狩川という大自然と死闘をくり返しながら切り開いていった当別の史実に基づいた成立史であり、今もなお長編歴史小説として、親しまれています。

また、東映が小説「石狩川」を映画化した「大地の侍」
(大友柳太郎主演)は昭和31年に公開。

当別ゆかりの映画フィルムは現在、岩出山町と当別町の
2本のみで幻のフィルムとも言われています。

当別にある「伊達邸別館」で、この映画を一部観ることができました。 

明治4年に自費で開拓に入った伊達藩のことが克明に書かれております。
北海道の開拓初期のことが良くわかりますので、北海道を訪れる人や北海道の歴史を知りたい方には一読をおすすめします。