倶多楽湖(くったらこ)-白老町

白老町・クッタラ湖

登別温泉の地獄谷駐車場から上がること7キロの山中に倶多楽湖があります。
住所は白老町ですが、湖に行くには登別からになります。
この湖のたたずまいと伝説を描いた小説「倶多楽湖」(八木義徳)があります。

「海抜260mの陥没火口湖、周囲12キロ。ほとんど完全な円形を描いた湖の周辺は、湖面すれすれまで直角になだれ下った分厚く深い原生林が巨大な壁のようにぐるりと取り巻いている。
その巨大な緑色の環壁の上に高く頭をもちあげているのは、西南に来馬岳、幌別岳、西北に鷲別岳、そして来馬岳のはるか東南方に白雪の山頂を鋭く光らせているのはオロフレ岳であろう」
その中に、たたずむ倶多楽湖は「壮大な規模はもたないが、自然に象嵌しょうかんされた精巧な一顆の宝石をみるような完美な感じがある」

小説家の「私」がこの湖を訪ねたのは、「大正2年5月から昭和17年7月まで、この廓寥とした湖畔にすむこと30年、文字通りこの湖とともに死んだある数奇な一婦人」の像を追い求めることにあった。」

作中では高倉富美子ですが、モデルは姫鱒の養殖に情熱を傾け「沼の貴婦人」といわれた中尾富芽(トメ)で、事実に寄り沿った小説です。

富芽子は、倶多楽湖の湖畔に大正の初めから30年以上孤独に住みつづけ、その生涯は、孤高の貴婦人のなかば数奇な説話として、登別に語り継がれています。
電気も電話もなく、けもの道を広げたようなアクセスしか叶わなかった時代のこの伝説を、室蘭出身の八木義徳はひとりの女の清冽な生の物語として、アイヌ青年への寵愛までを織り込みながら「倶多楽湖」という短篇小説に綴っています。