三船遭難慰霊之碑ー小平町

にしん文化歴史公園の左側に「平和への祈り」碑とともに「三船遭難慰霊之碑」が建っています。

碑文

「昭和20年8月15日 太平洋戦争終る 終戦後7日 昭和20年8月22日早暁の海は波穏やかにして 微風甲板を渡る この日泰東丸 第二新興丸 小笠原丸の三船は戦乱の樺太(サハリン)より緊急引揚の老幼婦女子乗組員 5082名を乗せ鬼鹿沖にさしかかりしが突如旧ソ連軍の潜水艦による雷砲撃に遭い瞬時にして沈没或は大破し 1708名の尊き生命を奪わる 離別の地樺太を脱し数刻夢に描きし故山を目睫にしてこの惨禍に遭う 悲惨の極みなり 星霜ここに30年我等同胞慟哭の海に向かい靈鎮まらんことを祈りつつこの碑を建つ 昭和50年8月22日 樺太引揚三船遭難慰霊碑建立合同委員会」

道の駅おびら鰊番屋の隣にある「小平町郷土資料館」に沈没した泰東丸の遺品コーナーがあります。

佐藤生人「サハリン脱出」で次のように書いています。

「第二新興丸が雷撃を受け、そして、泰東丸が沈没した鬼鹿村の海岸には、おびただしい浮遊物と遺体が日夜を通して漂着した。部落民は、これらの遺体を近くの松相寺に運び入れるとともに、土葬に付して供養を行った」