中山正男(なかやま まさお)
1911年-1969年 
小説家、実業家。

常呂郡佐呂間村出身。
馬喰中山米市の長男として生まれます。
1933年、陸軍省報道部の指導雑誌社・陸軍画報社を設立『陸軍画報』を発行。
日中戦争中に南京城攻略戦の従軍記『脇坂部隊』を出版してベストセラーとなるなど、戦争を鼓吹。陸軍画報社は敗戦と同時に解散させられ戦後公職追放となり、のち東光石油や理研映画社の社長を務めました。

1949年に発表した小説「馬喰一代」で第26回直木三十五賞候補。
同作は1951年、木村恵吾監督、三船敏郎主演で映画化、63年に三国連太郎主演で再度映画化されました。
「馬喰一代」も含め、生涯に13作の小説が映画化。

「馬喰一代」は、父米市と正男の父子愛情物語です。

作中の米太郎がサロマで馬喰の鑑札を受けたのは明治41年の春だったが、「彼とその一家がサロマからひきあげて、電燈のともっているルベ(留辺蘂)へ移ることになったのは、大正十年の秋だった。
八里の道をガタガタと馬車にゆられていった。新しい町で、ひと旗あげることを思うと、米太郎はわくわくするほど壮気がたまった。妻のはるも町場に住めることは、何としても楽しいことだった。たまには活動写真をみれるということだけでも-。(子の)太平はまた電気のともっている町、汽車の通っている町、それはたまらない魅力だった。ただこころのなかでの微かな不安は、三百人の学校から千五百人もおるときかされた、そんな大きな学校へ入ったら、いままでどおり総代がとれるかということがひとつの心配だった。」