井上靖「魔の季節」ー宗谷本線(名寄駅から稚内)

井上靖の『魔の季節』は、昭和29(1954)年から翌30(1955)年まで37回にわたり「サンデー毎日」に連載された長編小説です。
恋人にふられた風見竜一郎と、単調な生活に味気無さをおぼえる大学教授の妻、伊吹三弥子は、日本最北の地、宗谷岬で出会います。

昭和20年代後期の宗谷本線名寄駅から稚内までの光景が描かれています。

「名寄駅を過ぎると間もなく、列車の左手に天塩川が見えだした。黒っぽい水がどんよりと澱んでいるところは水溜まりの感じである。流れは灌木の茂みや雑草の自然の堤に縁どられ、いかにも原始林の中の川といった感じで悠々と流れている。冬季雪におおわれたら、この一すじの流れだけが青黒く続いて、さぞ荒涼たる眺めであろうと思われる。

 列車は名寄から幌延あたりまで、大体この天塩川に沿って走った。川は鉄路に近づいたり遠のいたりしたが、窓外に目をやると、いつもどこかにその長い姿態の一部が見えた。この天塩川が見え出したところから、漸く、窓外の景観には北方の感じが色濃くなって来た。見渡す限り原始林である。白樺、ポプラ、エゾ松、トド松、カラ松、ヤツダモ、ナラなどの林が、交互に窓の傍を飛び去っていく」