太田屯田その3

全道に37の屯田兵村がありますが、太田兵村は明治23年に入植した士族最後の兵村です。

明治23年(1890年)6月 厚岸郡太田村南太田兵村 
           第四大隊第三中隊。220戸。
           厚岸郡太田村北太田兵村 第四大隊第四中隊。220戸。

太田とは人の名前ですが、兵村名に個人の名が冠されたのは永山、和田、太田の3ヶ所だけです。それだけ太田という人は重要な人物でした。
太田紋助といいます。父親が厚岸場所で番人の仕事をしていた中西紋太郎、母親がシャリコトム(日本姓を太田)の間に1846年に出生。8歳で父を失くし国泰寺にあずけられます。お寺で雑用係として働きながら学問と教養を学びさらに農業技術も習得する少年でした。明治4年に戸籍法の制定により母方の姓に改め、名も紋助とします。
厚岸の開拓に多大な貢献をしただけでなく、アイヌ民族の指導者としてアイヌの生活向上にも尽力しましたが、函館出張中に47歳の若さで急死しました。