明治2年<北海道分領支配制度> 後志国

北海道の分領支配11カ国86郡を一国ごとを紹介しています。

分領支配制度を作りましたが、この制度に重要な人物は関わりを持っていませんでした。

松浦武四郎 まつうら たけしろう

その一人は松浦武四郎です。11カ国86郡を提案した半年後に武四郎は開拓判官を突然辞職します。判官といえば大臣の下の次官に匹敵する高級官僚でした。
彼が身を引いた理由は、政府のアイヌ民族に対する仕打ちでした。
「明治維新により世の中が近代化しても、役人は北海道の先住民族であるアイヌの人々の存在を無視し、強盗のように物を奪い取る。これでは幕府時代と少しも違わない」という無念さで自ら職をなげうちました。
理由はもう一つあります。東京においての業務で現地ではありませんでした。何度も北海道に行かせて欲しいと願い出ますが叶えられませんでした。

 

大友亀太郎

もう一人は大友亀太郎です。明治2年、新政府により設置された開拓使は亀太郎をそのままの形で雇い入れます。
そして、この大友堀を札幌の東西の基準線にし、札幌の区画割りを始めました。亀太郎はそれまで開墾したところを開拓使に引き渡し、新たに当別を開墾すべく、新政府軍との戦いに負けた旧会津藩士たちを入植させようとしました。
ところが、開拓使から会津藩士の入植を見合わせるという意向が伝えられ愕然とします。辞職を決意。
開拓使は何とか止めようとしますが、明治3年6月、亀太郎36歳で故郷の小田原に帰り「大友堀」はそれ以後、亀太郎の偉業を残すために付けられた名前です。

会津藩士が、殿の命と引き換えに、蝦夷地に向かった場所は現在の余市。
亀太郎が指定した当別は、仙台支藩の岩出山藩が、二転三転の変更願いでようやく獲得した原野でした。 

後志国 17郡 

国 名

郡 名

管轄者

支配期間

備  考

 

 

岩内郡

開拓使

2.8-

赤が開拓使管轄

 

 

積丹郡

 

 

美国郡

 

後志国 

古平郡

 

(しりべし)

忍路郡

 

 

余市郡

 

 

古宇郡

 

 

高島郡 

兵部省

2.8.20-3.1.8

兵部省は会津降伏人処置のため

 

 

小樽郡

 

 

寿都郡

開拓使

2.8-

赤が開拓使管轄

 

 

国 名 

郡 名 

管轄者 

支配期間 

備  考

 

 

 

 

 

歌棄郡

斗南藩

3.1.5-4.8

 旧会津藩

 

 

太櫓郡

兵部省

2.9.14-3.1.5

兵部省は会津降伏人処置のため

 

 

斗南藩

3.1.5-4.8

 旧会津藩

 

 

瀬棚郡

兵部省

2.9.14-3.1.5

兵部省は会津降伏人処置のため

 

後志国 

斗南藩

3.1.5-4.8

 旧会津藩

 

(しりべし)

久遠郡 

福岡藩

2.8.28-4.8

旧筑前藩

 

 

奥尻郡 

 

 

島牧郡 

弘前藩

2.9.19-4.8

旧津軽藩

 

 

 

 

 

鳥取藩

2.12.2-4.8

旧鳥取藩

 

岡山藩

3.2.2-4.5.3

旧備前岡山藩

 

仏光寺

2.12.3-4.8

真宗佛光寺派の本山

 

磯谷郡

米沢藩

2.9.14-4.8

旧米沢藩

 

 

五島

銑之丞

2.9.14-4.3.28

旧五島家(肥前)旗本交代寄合・

五島銑之丞盛明