ろうそく岩のいかり

ー後志管内余市町ー

むかしむかし、まだ、北海道がエゾ地と呼ばれていたころのことです。
積丹の海にはつには、毎年、ニシンなど、数えきれないほどたくさんの魚がやってきました。
「きょうも、また、大漁だぞー」
「こんなにたくさんニシンがとれるのも、きっと、神様の岩が、わしらを守ってくださるからだ」
コタン(村)のアイヌたちは、口々にいいあっては、はるか沖のほうに見える、ろうそくの形をした長い岩を、拝んだそうです。
この岩は、広い海の中にぽつんと立った細長い岩で、このエゾ地に、まだ神様しかいなかったころからあったと言い伝えられている、古い古い岩でした。
何でも、大昔に、外国の神様たちが、積丹の突き出た島をもぎとろうとして、大嵐や大津波をおこしたときに、えぞ地(北海道)の神様たちが、とられないように、「なにくそ。わたしたちの島を、もぎとられてたまるか」と、頑張って、太くて長い縄を使って、島全部を縛りってしまい、それを、ろうそく岩の根元に縛り付けたのでした。

すると、ろうそく岩も、
「おらは、外国なんかに行きたくない。まけるもんか」と、力を込めて綱を引きとめ、ついに、外国の神様をやっつけてしまったといわれていました。
ですから、アイヌの人たちは、ろうそく岩を、それはそれは、大切にし、神様の岩だから女の人は近づいてはいけない、という決まりをつくっていました。

ところが、ある日のこと、ひとりの女の人が、海草をとりにやってきて、
「なかなか、思うように集まらないわ。たくさんとって帰らなければ、こまるわ」といいながら、沖の方へ泳いでいって、とうとう、ろうそく岩まで来てしまったのです。
女の人は、海草とりに夢中のあまり、神様の岩だということを、すっかり忘れてしまっていました。気が付いた時には、岩のてっぺんにのぼっていました。
「ああ、どうしよう。神様の岩にのぼってしまうなんて。わたし、とても恐ろしいことをしてしまって・・・・」と、気付いたときには、もう、体中が固くなって、動けません。体中の血が、すうっとひいたかと思うと、まるで、全身がつららのように冷たくなっています。

すると、どうしたことでしょう。空が、夜のように真っ暗になったかと思うと、大きな雷が、あたり一面に轟渡り、空が割れんばかりの、大きな大きな神様の声が響いたのです。
「こら、むすめよ。わしは、ろうそく岩の神じゃ。せっかくのわしの眠りをさましおって、ただではすまさぬぞ。わしの怒りを受けてみよ」
声がやむかやまぬかのうちに、海が大津波を起こし、天までとどくかのように、あばれ出しました。波は、岩の上のむすめをひとのみにしたかと思うと、むすめの住んでいたコタンまで、さらっていってしまったのです。

さて、それからというもの、コタンは、さびれるばかりでした。
なぜなら、ニシンはもちろん、小魚まで、さっぱりとれなくなってしまったからでした。そして、嵐の中を生き延びて、やっとの思いで助かった人たちも、食べるものがなくなり、飢え死にしていきました。
「おらたちは、もう、はらぺこで我慢ならないよ。いっそのこと、殺してくれ」
と、声のするほうを見れば、着るものもなく、骸骨のように、骨だらけの人が、ごろごろと倒れています。そこで、生き延びた人たちで一生懸命考えて、神様にお祈りして、お怒りをしずめていただこう、ということになりました。

まず、木を切り倒して祭壇をつくり、巫女さんを探し出しきました。もう、どの顔も必死でした。
「ろうそく岩の神様、わしらをお助けください」
みんな、われを忘れて、ひたすら、祈り続けました。
すると、どうしたことでしょう。神様も、もうこれ以上苦しめたら、村人たちがかわいそうだ、と思いになったのでしょうか。
その夜、ろうそく岩の東のはしの中ほどに、まるい、円盤のような灯りがついたのでそうです。人々は、その灯りを見て、
「おらたちの願いが通じて、神様がお許しくださった」といって、それはもう、大喜びだったそうです。

すると、次の朝からはまた元のように、海が銀色に変わるほどたくさんのニシンがやってきて、コタンのくらしは、どんどん豊かになっていきました。
それからというもの、前にもまして、コタンの人たちは、ろうそく岩を大切にし、毎朝のお祈りのときには、海の幸や山の幸を、たくさん、祭壇にお供えしたのでした。
その後、神様が怒ることは、なかったということです。