ムイとアワビの大げんか (汐首岬)

ムイとアワビは仲が悪く、神様もこのごろはほほとほと困りはててしまいました。
遠くから、おたがい、その姿を見ただけで、もう、ムイは大きな白目を出してにらみ、アワビは、穴という穴からホースのように水を出してぶっかけ、すごい喧嘩になるのです。

神様は、
「おまえたちはもともと、いとこ同士で、先祖は同じなのだ。姿形も似ているであろう。お互い、平和に仲良く付き合っていかないことには、どちらかが、この世の中からはみ出して、姿を消してしまうことになる。ムイもアワビも、いいかげん、喧嘩をやめなさい」そういうのです。

しかしもう、ムイもアワビも、意地になっていました。こうなってはもう、神様のいうことも耳に入らないようです。
喧嘩の原因はというと、もともとは、本当にささいな、つまらないことでした。
戸井といの海には、ムイとアワビがごっちゃになって住んでいましたが、ある日、ムイの子どもと、アワビの子どもがえさをとるのに、ガッチンコしたのです。
痛かったアワビの子どもは、頭をなでなで、
「なんだおまえは。骨なしのくせに、いやに固い頭だな。なに食って固いんだあ。おれのうんこのついた砂でもくらって、石頭になったのか ?」
と、どなったのです。
たまたま近所にいたムイの親がこれを聞いて、何を生意気なアワビの息子めと、いきりたち、「こら、アワビ・・・・。骨なしとはなんだ、骨なしとは・・・。ムイはこのとおり骨があるんだぞ。おまえのほうこそ骨なしではないか。からなぞかぶって、ごまかしているくせに」と、どなりながら、もそもそと、息子のかせいにのりだしていったのです。

大声を出して、どなっているムイの声を聞きつけ、これまた、アワビの親が急いでやってきました。さあ、こうなると親の喧嘩です。
アワビは、「なに? からをかぶってごまかすだと・・・・。ごまかすとはなんだ。ごまかすとは・・・・。ごまかしているのはおまえのほうだろう。なんだそのざまは。おれたちの真似をして、ちょーっとばかり、背中にからに似せたものをくっつけたってなんになる。おれたちの体あたりでひとつぶれではないか」 
ムイはムイで、
「なにをなまいきな、この風来坊。やる気ならどんとこい」
と、胸をはってひっこみません。

もともとムイは、このあたりを根拠地にして、あまり遠くまで足をのばしませんでしたが、アワビはどこへでも歩いていくので、ムイは「風来坊」などといったのです。
この喧嘩が、隣近所に広まり、ムイはムイで同盟を結び、アワビはアワビ同士が集まり、とうとうなわ張り争いがはじまったのです。
もともと、アワビは、
あんな、武装の一つもないようなムイのところへなんぞ、娘は嫁にやれぬ、親類づきあいなんぞごめんだ」と、常日頃から、ムイの一族を軽蔑していましたし、ムイはまたムイで、
「なんだ、固い岩のような家をかぶって、もそもそとはいずりまわり、顔もろくすっぽ見せやしない。アワビってやつは、まったく陰気なやつだ。あんなやつの娘など、娘にもらえるものか」
と、これまたたアワビの性質をいやがっていたのです。
ですから、子ども同士のちょっとしたいさかいが口火になり、火は意外に早く燃えだしたのです。

ムイとアワビの喧嘩は満月の晩に爆発しました。
ムイは早くも同志を集めて、こんもりと高い岩礁の附近に陣取りました。
風来坊のアワビは、なかなか同志が集まらずいらいらしていましたが、さすが、天下分け目の戦いとあっては、ぼやぼや、のろのろしているわけにもいかず、桧山ひやま熊石くまいしの方からも、渡島おしま臼尻うすじり鹿部しかべの方からも、ぞくぞくとアワビたちが集まってきました。

満月が中天ちょうてん高くのぼったころ、海の底では、ムイ対アワビの戦いの火ぶたが切って落とされました。
からがないとはいうものの、ムイのばか力はすごいもの。十枚余りの、うろこのような、そしてまた板のようなこうらをさかだてて、ひゅうひゅうと水を切って、アワビの群れに突進していくさまは、実に立派でした。

これに応戦するアワビも負けていません。陰気で内気で、頭を出したことのないようなアワビが、足も手も顔もむき出しで、からが、ずっこけそうになるのもかまわず頑張ったのです。
勝負が決まらず、両者とも相当に負傷者がでたようでした。

そこで、見かねた神様が、仲裁に入ったのです。神様はいいました。
「いいか、このままではお互いが全滅してしまう。殻のあるなしにかかわらず、これでお互いの力が五分と五分だということは分かったであろう。そこで、わたしが条件を出すから、ムイもアワビもこれに従うようにしなさい」
神様はきっとして、ムイとアワビにいいました。

「ムイたちよ。おまえたちは真っ先にこの島の周りに集まっていたが、ここは、仲直りにちょうどよい島だと思う。いいか、ムイたちは、この島から東の方一帯を自分の領土として、そこに住むがいいだろう。アワビたちよ、おまえたちはこの島から西の方を領土とすれば、お互い喧嘩することもなく、傷つけあうこともないであろう。いいかな、アワビは、ふらふらとムイの領海へ出かけることのないよう、十分気をつけること。約束を守らぬ者は、全滅のうきめをみるであろう」と。

こうして、ムイとアワビは、この日限り、この島を境にして、べつべつに住むことになったのです。そして、これからこの島は、ムイの島(武井の島)と呼ばれるようになったのです。

この武井の島というのは、函館から汐首岬しおくびみさきをまわった、すぐの町、戸井といの漁港のそばにあります。こんもりとした岩礁の小さな島です。
つい最近まで、この武井むいの島より西の方、函館、松前、熊石方面の海岸には、ムイなどというカイは一ぴきも住んでおらず、アワビがたいへん繁殖していました。
そしてまた、この島より東の方、恵山岬えさんみさきや、岬をまわった尾札部おさつべから内浦湾うちうらわんには、ムイがいるが、アワビの姿はずうっと見かけなかったということでした。
しかし、つい最近は、アワビの養殖が盛んになり、アワビはこの海岸一帯からとれるようになりました。
アイヌはこの島を「ムイ・ワタラ」といっていたそうです。
「ムイ」というのはアイヌ語では「」のこと、「箕」は、農家で米や麦など雑穀の殻とごみをより分けるのに使っている用具です。わり竹を編んで作ったもので、形はチリトリに似ています。
「ムイ・ワタラ」とは、ムイのいる島とか、磯とかいう意味だそうです。
「ムイというのは、大きさはアワビぐらいで、大小ありますが、形はそれこそ「箕」をふせたような形で、表面は、サメの皮のように、ざらざらしているのです。色は褐色かっしょくで、裏に吸盤があり、岩にぴったりくっついているのです。
土地の人の話では、「はっしゃく」という用具を使って取ってくるといっていました。アワビよりは味は落ちるし、めったに生のままでは食べないということでした。たいていは、おでんのように、いろいろなものと一緒に煮込んで食べるそうです。煮る時には、中に入っているひし形をしたような骨を抜き取ってから、煮るのだと言っていました。味はまあまあ、ということです。

※ ムイ=「オオバンヒザラガイ」という貝の一種。
※ はっしゃく=熊手のようなつめがついた網でできた袋。海底を引きずって貝を採る用具。

汐首岬