めむろ名は、アイヌ語のメム・オロ(泉から流れている川)に由来。
西士狩(にししかり)にアイヌ民族の砦跡「シュブサラチヤシ」が残されており、十勝の中でも最も強固なものといわれています。(帯広JCTの近くです)
明治16年に帯広に入植した晩成社は解散し、鈴木銃太郎、渡辺勝、高橋利八は明治19年に西士狩で開拓をはじめました。
写真の左から鈴木銃太郎、渡辺勝・依田勉三の晩成社3幹部。
依田は晩成社に残り現在の大樹町で酪農を始めます。
明治26年、下帯広に河西・河東・上川3郡各村戸長役場設置。
明治29年、十勝原野の植民地区画が解放されると愛知・石川・岐阜の各団体が入植してくるようになりました。
明治30年、下帯広に河西外6郡役所設置。
明治33年、芽室外6カ村戸長役場(6カ村は西士狩、美蔓、美生、羽帯、人舞、屈足)設置。
明治36年、人舞(現在の清水町)、屈足(現在の新得町)を分割。
明治39年、芽室村となりました。
明治40年、旭川~釧路間の鉄道が全通し、芽室駅開業。芽室市街が急速に発展していきます。
ゲートボール発祥の地
お年寄りというイメージが強いゲートボールですが、実は子供のためにつくられたスポーツです。
戦後、芽室町でパン工場を経営していた鈴木和伸さんが考案したものです。極端なモノ不足の時代、道具もなく外で遊べない子供たちの姿を見て進駐軍が行っていた「クロッケー」を参考にして考案したものです。
ゲートボールが楽しめる「健康プラザ」には創始者の胸像が設置されており、資料室にはゲートボール考案にまつわる、氏の手紙や、考案に使用したスティックなどの貴重な資料が多数展示されています。
平成18年3月「芽室遺産」に認定されました。
ふるさと歴史館ねんりん
平成11年、芽室町開設100年を記念して建てられました。
先人の知恵と文化遺産を保存している施設です。
感動工房での体験や、スタディー・ステーションでのコンピュータによる学習もでき、新しいスタイルで先人の知恵を学べます。