まっかり村名の由来はアイヌ語マッカリベッ(後ろ・まわる・川)の当て字で、真狩川が尻別川から分かれて羊蹄山を取り巻いて流れる様子という説があります。
マツカリベツ原野の開拓が遅れたのは、東本願寺の道路が短期で廃道となった事にあります。多数のアイヌ人や伊達の家臣らが工事にあたりましたが、粗末だったため明治6年に新道(現230号)ができるとほとんど使われなくなりました。
明治28年、 香川出身の神原弥吉や大平紋治は郷友で団体移住した三橋政之の勧めで向洞爺へ入地、機会を得て明治28年にマッカリべツ原野へ入植しました。
この年に植民区画を開放しており、福島県人も入植し真狩村開基となります。
明治30年代に入ると早瀬農場、川崎農場なども開設され、大規模農場の創設で耕地面積ね拡大し、第一次世界大戦後の不況も澱粉生産に支えられ乗り切りました。
明治43年に高橋権次郎が水稲の試作をはじめ、その後も試作が続き大正末に進展しました。
戦後ユリ栽培を展開、昭和50年代からはクレソンの栽培をはじめ、60年代に花卉栽培も本格化し、乳牛の多頭飼養を進め輪作体制を確立しました。
ユリ根
日本有数の食用ユリ根の産地で、ユリ根を原料とした焼酎や地酒、ユリ根のあんの入った菓子も販売されています。
1400㎡の敷地に75種2万5千株のユリが植裁された世界のユリ園を設置、園内にコテージも装備されています。
花園ばかりではなく道道66号線の沿道に約4万本のユリが植えられる「フラワーロード」が道行く人々の目を楽しませています。