ヤリキレナイ川
地名の由来はアイヌ語の「ユウンニ」(温泉があるところの意味)から。
明治19年、下国皎三、沼山兵七が古川に入地。明治24年、熊本団体119人入植、翌年戸長役場がおかれ由仁村誕生。
細長いひょうたん型の由仁町は、南北に夕張川が流れ南東部の森林地帯は夕張連峰に属し、西部・南部には、馬追丘陵が広がります。
近年ネットでも有名になった「ヤリキレナイ川」は由仁市街地を通り、夕張川へ流れています。昔はアイヌ語で「ヤンケナイ川」「イヤルキナイ川」と呼ばれ、「魚の住まない川」「片割れの川」の意味。大雨が降るたびに氾濫したため、明治時代から住民が「ヤリキレナイ川」と呼び始め現在に至ります。
昭和11年、陸軍特別大演習が石狩平野を中心に行われ、昭和天皇が伏見の高台から統監されたことから記念碑『聖上御統監之地』を建てられました。伏見台からは、由仁町の田園風景が一望でき、遠くは夕張岳も望めます。春には桜が満開になり桜の名所にもなっています。