月形(つきがた)町名の由来は、樺戸集治監の初代典獄(所長)、月形潔の姓から付けられたものです。
明治維新後、新政府に対して旧士族階級の不満は高まりました。
明治7年佐賀の乱や9年には秋月の乱となって表面化し、多くの国事犯を含む犯罪人を出すことになりました。
多数の重罪人を収容する策に苦慮し、流刑と開拓、また方面後に北海道に定着させる目的も兼ねて、東京・宮城についで3番目の集治監として樺戸集治監を明治14年に新設しました。
開拓使本庁に近く、石狩川による水運の便が良く、地味肥沃で農耕に適し、山と川に囲まれた天然の要塞でもありました。
初代典獄は福岡県出身の月形潔で彼の姓をとり、月形村となりました。月形は重責任務により4年後病に患い、退職し45歳で福岡県で亡くなっています。
大正8年(1919年)に廃監となりますが、その間に道路の開削、灌漑溝設置など労役を行い、内陸の開拓と、この町の米作の基盤づくりを行いました。
明治34~35年、月形~厚田間の道路敷設、廃監後の横山農場の創設で移住者が次第に増えました。
昭和10年に札沼線が全通、その後、雪印・明治乳業の集乳工場を設置。
昭和21年には月形炭鉱も開鉱しました。
昭和35年に町制施行します。
しかし、炭鉱の閉山、雪印・明治乳業の工場閉鎖、新十津川~沼田間の札沼線廃止・更に新十津川~北海道医療大学間が2020年5月7日に廃線が決まっています。
昭和48年に月形少年院を開院し、再び矯正の町となりました。
昭和40年代後半に蔬菜共同集出荷選果場、蔬菜・花卉指導センターを開設。
稲作が主でスイカ・メロンなどを栽培し、蔬菜・花卉栽培を行っています。
皮が黒っぽく、果肉が赤い「ダイナマイトスイカ」や楕円形のスイカ「ゴジラのたまご」も出荷されています。