しんとく町名はアイヌ語でシットク・ナイ(山の肩、または端)から。
また、アイヌの人たちがお酒を造るための漆器を「シントコ」といい、これを作るための土地だったとも言われています。
明治4年、開拓使直轄となった頃はアイヌ人9軒、59人の居住でした。
その後、大雪により鹿の大量死、サケの禁漁で餓死者が出て芽室に移動し居住者は皆無となりました。
明治32年、芽室~富良野に石狩街道が開削され、パンケシントク駅逓が設けられ、その少し前に山形県東根市出身村、山和十郎翁ほか13戸によって開拓の鍬がおろされました。彼らは大津(十勝川河口・豊頃町)から徒歩で入ったといいます。
翌年に高知県から大原利三郎らが、福井県から徳橋清助らが次々と入植。
明治40年に「狩勝トンネル」が開通し、十勝・道東の玄関口として鉄道・十勝線の全通により、更に入植者が増加しました。
(国道38号)
とにかく広い町
面積は東京都の約1/2、全国の「町」で4番目に広い面積を持ちます。
昭和2年には、狩勝峠が雄大な眺めがすばらしいことから日本新八景に選ばれました。
美しい自然に恵まれ、日本で初めて地中海クラブのバカンス村ができた町です。
狩勝高原を中心に、乗馬、スキー、カヌー、ラフティング、ゴルフなどたくさんの遊びメニューと、宿泊施設や、温泉がそろった有数のリゾート地でもあります。
トップの写真は「トムラウシ温泉 国民宿舎東大雪荘」
新得のそば
様々な特産品がありますが、なかでも「そば」が有名。
昼間は温かく、夜涼しい新得町の気候は、そばづくりに大変適しています。
平成元年第1回全国そば生産優良経営表彰式において新得のそば生産農家が、平成11年度団体の部で農林水産大臣賞を受賞しています。