新十津川(しんとつかわ)町名の由来は、1889年に起きた奈良県吉野郡十津川村の被災民が新天地トック原野に入植したことによります。
(トップの写真は、現在の新十津川町です)
明治22年8月、大水害に見舞われた十津川村の村民を、郷士の家の出身であった東武らが北海道への移住を計画し村民の説得に奔走し開拓の道を開きました。
600戸2468人が同年空知太(滝川)に到着、建設中の屯田兵屋に入居し越冬し翌年の春にトック原野に開拓に入りました。
しかし、その後も楽な生活ではなく、深川の菊亭農場へ小作に出るような例も現れていました。
加えて明治31年には石狩原野の大洪水により被害を受けることになります。
当時、菊亭農場の支配人となっていた東武は、被害者救済のため尽力し、それを契機に政治活動に入ることになります。
この町の米作は明治26年頃から試作が行われていましたが、31年の災害を機に水田造成の気運が高まりました。
私設の水利組合も作られ造田が進展し、その後石狩治水計画が決定し、河川改修・泥炭地の開発が行われることになりました。
明治35年、滝川と結ぶ石狩川橋を架橋、昭和10年には札沼線の開通と交通網も整備され昭和32年に町制を施行しています。
しかし、平成28年3月のダイヤ改正でJR札沼線新十津川駅が「日本一早い最終列車が出る終着駅」となりました。
更に、2020年5月7日に沿線4町の駅が廃線となります。
文化伝習館
明治時代に制作された「新十津川焼」の伝統技術から現代の陶芸技術に至るまで、伝習しており「屯田陶房」があります。
新十津川開拓の百年を描いた児童文学「新十津川物語」もドラマ化され、開拓記念館とは別に新十津川物語記念館も建てられています。