この地は蝦夷の時代から請負場所として開かれていました。
1818年頃から長崎から中国に輸出されていた松前地方産の長折コンブが減少し、三石の長切コンブが江戸や近畿、長崎を経由して中国まで送られるようになりました。
三石場所としての繁栄は、1870年(明治3年)に請負人小林重吉に引き上げ命令が出るまで続けられました。
小林は1825(文政8)箱館で生まれ、祖父の代から日高三石の場所請負人としてコンブの生産を主業としていました。
祖先は福山(松前)で栖原屋を称しており、9歳の時に父の後を継ぎ小林を号としました。
明治新政府のもと、この地に新たな開拓をはじめたのが岩手県葛巻町、新潟県能生町、福井県大野町、兵庫県南淡町の移住者たちでした。
さらに、明治18年に現在の東静内で馬匹の改良に着手していた大塚助吉が明治25年に三石産畜産牛馬組合を組織、組合長となり場産の振興に努めました。
伝統を受け継ぐ
現在の三石をみても、コンブと場産の伝統を受け継いでいます。
大正7年に札幌で開催された開道50周年記念博覧会で三石コンブが北海道長官の表彰を受け、宮内省御用達となりました。
場産においてもオグリキャップをはじめ競馬界で活躍する馬を産み出しております。
和牛センターで育てられた肉牛は「三石和牛」として出荷されています。
新ひだか町の旅(旧静内町)はこちらです。