この地は蝦夷の時代から請負場所として開かれていました。 1818年頃から長崎から中国に輸出されていた松前地方産の長折コンブが減少し、三石の長切コンブが江戸や近畿、長崎を経由して中国まで送られるようにな・・・ (続きを読む)
大樹町の旅(晩成社史跡 )
晩成社史跡公園 大樹町名の由来はアイヌ語の「タイキウシイ(tayki-us-i)」(ノミ・多い・ところ)から。 「十勝開拓の祖」とよばれる依田勉三率いる晩成社は、明治16年に現在の帯広市へ入植し、・・・ (続きを読む)
この地は蝦夷の時代から請負場所として開かれていました。 1818年頃から長崎から中国に輸出されていた松前地方産の長折コンブが減少し、三石の長切コンブが江戸や近畿、長崎を経由して中国まで送られるようにな・・・ (続きを読む)
晩成社史跡公園 大樹町名の由来はアイヌ語の「タイキウシイ(tayki-us-i)」(ノミ・多い・ところ)から。 「十勝開拓の祖」とよばれる依田勉三率いる晩成社は、明治16年に現在の帯広市へ入植し、・・・ (続きを読む)