シャリ運上屋の創設は1790年とされています。当初は宗谷場所の管轄でしたが、この年にシャリ場所を開設しました。
1806年にロシア船が往来、樺太のクシュンコタンに上陸し略奪が行われたため、翌年幕府は蝦夷地全域を直轄としオホーツク海岸・樺太も含めて警備を強化します。
この時に白羽の矢が立てられたのが津軽藩で、シャリを中心とする北方警備がその任務でした。シャリで駐屯、越冬した100人中72人が極寒の中で栄養不足による浮腫病により死亡という悲劇が生まれます。
斜里市街の町民公園には津軽藩士殉難慰霊の碑が立てられ、斜里町と弘前市は友好都市の提携をしています。
津軽藩士シャリ陣屋跡、津軽藩士墓所跡、シャリ運上屋(会所)跡は斜里町の文化財に指定されています。
毎年、7月第4土曜と前日の金曜には『しれとこ斜里ねぷた』が開かれています。大小12基余りの扇ねぷたが午後7時に斜里町役場前を出発し、斜里市街の目抜き通り2.5kmを練り歩きます。
道の駅しゃりには「ねぷた」がありますが、このねぷたには、斜里町の歴史が秘められています。