愛別町は、旭川市街地から国道39号で層雲峡に向かって約40分ほど。
日本で初めて自家用飛行機を持った町です。
あいべつ名はアイヌ語のアイペッ(矢、或いはトゲ・川)からとされ、土地の傾斜が急な為、流れが矢のように速い川(愛別川)があり、その川の名という説がありますが、愛別川はそれほど速くはありません。
明治22年から北見道路の開削が行われ、そのころ宮嶋という人が伊香牛近くに草屋を立て、渡し守を行っていました。明治24年この伊香牛等に駅逓が設けられ、茨城県人秋山照正が駅逓事務を行い、宮嶋に代わって渡し舟を営業し土着しました。
駅逓の設定により、次第に人口が増加し、明治27年に植民区画が整備され愛別原野の賃下げが告示しれると和歌山の豪族近藤新十郎らが約350㌶の賃下げを受けます。翌年には70戸を移住させ金富農場を開き、管理人に榎本菊松を立て開墾を進めました。
明治28年には和歌山の他に、岐阜・愛知からも109戸が入植しました。
明治44年、松岡源之助が伏古に居を構えて造材事業を始めると、大正時代に木工場も建設、安足間・愛別が木材の生産地として賑わいました。
愛別川下流で金銀の鉱石が発見され、昭和7年に徳星鉱山が開坑し、三年後に本格的に操業、金銀を採掘しましたが昭和18年戦況が厳しくなり廃坑となりました。
戦後、農業構造の改善を行い大正時代にはじまった乳牛飼育も盛んになり、旭山地区のパイロット事業により近代酪農経営を推進し、水田大型化事業も進めています。
昭和36年に町制施行となりました。
きのこの里
車で走ると標識に「きのこ」の名が目につきます。
「きのこの里パークゴルフ場」の
コース名は「まいたけコース」
「なめこコース」「えのきコース」「しいたけコース」きのこ・きのこ・きのこです。
農業は水稲が主体ですが、キノコ、酪農など複合経営が盛んに行われ、きのこは、特にマイタケ・エノキダケは北海道有数の産地となっています。
自分の手で野菜を育てるオーナー制農園「農業体験」もあり、1区画30平方メートルの畑で、種蒔きから草取り収穫までを体験できます。
毎年9月には「きのこの里フェスティバル」が開かれます。きのこ汁が振舞われるこの会場は愛別ダム周辺でカヌーや釣りなども楽しめ、山間に協和温泉があります。