きもべつ町名の由来はアイヌ語のキムウンペッ(山・に入る・川)からという説があります。
開拓当時すでにアイヌ人が狩猟で生活をし、冬になると有珠や虻田に帰っていました。明治に入ると留産集落の一角を特定地として付与し、アイヌ人を終結させました。
伊達藩が移住の際、阿部喜左衛門は手違いから船の到着が遅延し、その年の開墾期に遅れてしまいます。責任を感じた阿部は、後方羊蹄開拓の要請で他の2名と共にその難局に当たりました。
明治4年に移住し喜茂別駅逓を創設しました。
明治3年に東本願寺が平岸村~西長流間の本願寺道路を開いていましたが、明治19年に道筋を変えて虻田~札幌間の道路に着工し8年後に完成。
これにより、開拓が発展します。
明治30年代からは南部団体45戸など団体入植もはじまり、明治38年の住民は70余となりました。
明治30年代末から枕木用造材、開発による建築材や炭などの需要が増え林業が発展し、倶知安が木材集荷の中心となり、喜茂別が原木供給地となりました。
大正14年、当時の志賀村長がアスパラガスが耕作に適しているとし、試作させ5年後に80町歩作付けされ、これがアスパラガスの始まりとなりました。
3年後には朝日アスパラガス缶詰(株)が創立、現在はクレードル興農として稼働しています。
中山峠にはアスパラガスをかたどったモニュメントが建てられています。