函館中華会館
安政元年(1854)ペリー艦隊の来航により日米和親条約が結ばれ下田と函館が開港され世界との交流が始まります。
この時、函館に来航したペリー艦隊の通訳が中国人「羅森」でした。
安政5年の日米修好通商条約により貿易が本格化し、外国人の居住が認められます。
欧米商人に雇われた中国商人は買弁や番頭などの肩書で函館に来航し、海産物取引などの仲介業務で増加していきます。完治元年(1865)に海産物取引が自由化され、長崎海産物取引独占体制が打破されると、函館も輸出が可能となり、欧米から独立した中国商人は直接函館に来航するようになりました。

函館華僑の人々の会合場所であった「三江公所同徳堂」が、1907年(明治40)の大火で焼失したため、中国から設計責任者や工人達を招き、1910年(明治43)に同じ場所に煉瓦造りで純中国式建築物が建てられました。
中央に「三国志で知られる関羽」が、祀られています。関羽は商売繁盛の神様として中国全土に祀った「関帝廟」です。
日本に関帝廟があるのは、横浜中華街と函館の中華会館だけです。
壁に赤レンガを使用し、釘を一本も使わない清朝末期の建築様式で、登録有形文化財及び函館市景観形成指定建造物に指定されています。

一般公開は、入場者の減少や建物の老朽化、日中関係が一時悪化したことなどを理由に2005年から休止していました。
2011年7月5日から8月16日まで期間限定で内部を開館しました。
この時に内部を見ることができました。機会があれば是非お勧めの場所です。道を挟んでペリーの銅像がある場所です。