町のはじまり
明治19年、現在のJR室蘭本線由仁駅の東側(古川)の栗山町と接する地区に月寒村から旧松前藩士で農業実習生の下國皎三が入植しました。
この頃は夕張川河畔にアイヌ人テッピリアの一家だけでした。
明治24年、熊本団体119人入植、翌年戸長役場がおかれ由仁村誕生。
明治25年に駅逓や郵便局も設置され、農産物の集散地として栄えていきます。
明治27年には古山(ふるさん)で外山久太郎らが稲作を始め広まっていきました。

由仁町には室蘭本線の駅が北から由仁駅→古山(ふるさん)駅→三川(みかわ)駅と三駅あります。
三川駅は国道234号と札幌から帯広に向かう国道274号との交差点があるエリアになります。
明治28年、愛知県碧南市(当時は碧南郡棚尾村)出身の加藤平五郎(左の写真)が入植したのが由仁の始まりで、開拓に入った場所が現在の三川地区でした。加藤の故郷が三河国だったことから地名を三川としました。昭和63年4月に、この縁で碧南市と青年友好都市の調印をしています。
明治30年、北海道における貯水池第一号の「古川貯水池」により、水田用水を確保しました。今もこの貯水池は残っています。
戦後、夕張水系の川端ダム等の建設で水源を確保し、昭和49年夕張川総合開発事業の由仁地区の工事を完了し平地はほとんど水田となりました。
昭和25年に町制施行しています。
ヤリキレナイ川
細長いひょうたん型の由仁町は、南北に夕張川が流れ南東部の森林地帯は夕張連峰に属し、西部・南部には、馬追丘陵が広がります。
近年ネットで有名になった「ヤリキレナイ川」は由仁市街地を通り、夕張川へ流れています。昔はアイヌ語で「ヤンケナイ川」「イヤルキナイ川」と呼ばれ、「魚の住まない川」「片割れの川」の意味です。大雨が降るたびに氾濫したため、明治時代から住民が「ヤリキレナイ川」と呼び始め現在に至ります。
伏見台(北海道百景~伏見台公園~)

昭和11年、陸軍特別大演習が石狩平野を中心に行われ、昭和天皇が由仁町の伏見の高台から統監されたことから記念碑『聖上御統監之地』を建てられました。
伏見台からは、由仁町の田園風景が一望でき、遠くは夕張岳も望めます。春には桜が満開になり桜の名所にもなっているといいます。
この伏見台公園は、「ユン二の湯」の前の道を左折して道道3号に向かうと右手に見えてきます。
ゆにガーデン
平成9年株式会社ゆにガーデン設立(3セク)平成13年オープン。
新千歳空港から車で約30分、札幌まで約1時間と、「都会に近いちょうどいい田舎」として注目を集めている由仁町。
美しい英国式庭園や温泉、観光農園にレストランやカフェなど見どころ満載なので、北海道旅行の観光コースのひとつにもなっています。平成20年「恋人の聖地」としても認定を受けました。