屯田兵の設置は、明治8年の琴似兵村に始まって明治32年の士別、剣淵兵村までおよそ25年間に渡って行われました。

開拓使が廃止される明治15年までは、琴似、山鼻の2兵村と、江別太、篠津太の2試験地に設置されただけでしたが、以降陸軍省の所管となってからは、実に34兵村が建設されました。

初期の兵村は、札幌本府の警備と北辺の守りを固めるために、全道の主要港湾の防備を目的としていましたが、後期になると営農を重視して、石狩川の流域に集中して兵村が置かれました。

その数は、全道38村、総戸数7,371戸、兵員およそ39,000人でした。