道立北海道文書館(もんじょかん)が、1960年代の半ばに民放テレビ局が制作した「新たに視聴区域となった市町村の紹介番組」のフィルムを保管していました。半世紀も前の65市町村の映像ですから、今は失われてしまった町や村の風景です。ネットに載せることはできませんので感想を含めて紹介します。

枝幸町 1965年(昭和40年) 18分 白黒  音声なし    

枝幸(えさし)町名の由来は、アイヌ語のエサウシ(岬の意)。

映像では当時も観光の一つとして「神威岬」が登場します。オホーツクと町を上空から映しており、この岬を目指して旭川からも観光に来るといいます。

枝幸は漁の町ですが、漁業の歴史は古く貞享年間(1684~1687年)に松前藩直領の漁場が宗谷場所として開かれていました。安政年間に入り、警備上幕府の直轄となり、この地は秋田藩に警備が命じられ牧野兵五郎らが在勤しますが、漁期が終わると住民はアイヌだけでした。

この漁の町は、昭和40年の当時も続いており道北における漁業基地として300隻が集まり、700tの水揚げで市場でセリにかかり各地に出荷されています。
沖合で定置網による網上げ作業が映されています。海の男の姿で、サンマ漁で枝幸港には8憶の売り上げを作ります。秋には松前藩時代から続くアキアジの漁です。

水産加工場
枝幸は明治22年に漁業中心に発展していきますが、青森県下北出身の佐賀長兵衛が岡島で独立自営しニシン建網漁を行ったのがはじまりです。
特筆すべきは、「すりみの工場」です。ホッケのすり身で20tを関西や九州に出荷しています。

カニ
ズワイガニの加工が昭和39年から始まりました。水揚げから加工・缶詰を一貫しており外国に出荷しています。

農業は畑作が中心ですが、経営の転換が図られています。
それは酪農で、土地の開発で特に草づくりが進められています。3000頭の牛を育てます。
現在は山臼大規模草地牧場を持ち、乳牛を飼育しています

森林面積が町の70%を占め、造林を積極的に進めています。
植林が盛んで、トドマツを育てています。

枝幸港
町の命運を賭けて港の拡張計画が進められています。2万平方メートルの拡大です。

えさし港まつり
日吉神社の祭りで、5回目になります。町の市街地を神輿・パレードの風景が映されています。

枝幸は毛ガニ漁獲高日本一ですが、これは今日のことであって、推測ではありますが枝幸港が拡大されてからのことではないかと思います。