稚内市発祥之地ー稚内市

様々な歴史を持つ稚内市ですが、この町は明治までは宗谷、明治に入ってからは稚内が主役になりました。日本最北を目指して旅をする人は多いのですが、稚内を目指しても最北には到達しません。宗谷には更に稚内市街地から東に車で40分ほど緯度を上がる必要があります。

稚内市の発祥は宗谷村からで会津藩が始まりでした。昭和30年に合併して稚内市が誕生します。
稚内駅から宗谷岬に向かうと岬に入る手前の右手に宗谷公園があります。稚内は古くから松前藩の管理下にあって宗谷場所(交易所)が開かれ栄えていました。
明治に入ると宗谷村に役場が置かれ,この地域の中心地となりますが,やがて大型の船舶を受け入れられる港を有する稚内に中心が移ります。

稚内地名発祥の地

此の沢が稚内地名発祥の地である。
稚内市大字稚内村字ヤムワッカナイと呼称していた。
アイヌ語で「ヤムワッカナイ」とは「冷たい奇麗な水のある川」の意味であり,此の水を稚内港を出る多くの船舶の飲料水として摘み込み,又は地域住民の命の水として古くから大切にされて来た。
又,此の場所はアイヌ語で「シリクラエンルン」と呼ばれ「もののけの住む所」とも云われていた。

後に真言寺開創の伊藤智教法尼が堂宇を建て,弘法大師をお祀りして是を鎮める。後に開基上人鮒井英應師は,この沢の滝を「いろはの滝」と称し賛嘆した。